じまゆう日記

結婚生活に関する色々なことを書いていきます!

3.11東日本大震災被災地ボランティア演奏を振って今思うこと

東日本大震災を考えて今思うこと

地震があった時の秋、私は津波の被害が大きかった岩手県海沿いの町へ行き小さな演奏会に参加しました。

今日はその時のこと、当時大学生だった私が実際に被災地区で見て感じたことを記録していきます。

 

2011年3月11日14時46分18秒

地震があった時、私はまだ大学生で16時からマクドナルドでのバイトに向けて準備を始めた頃でした。

木造建築の実家の2階で横になっている時に揺れを感じました。

最初は地震だなーという程度だったのですが一向に収まらず、むしろどんどん強くなっていく

起き上がって逃げなきゃ!と思っているものの怖くて動かない体。

本棚が揺れてガタガタし、床に積んでいた教科書がザーーーっと崩れる音。

揺れが収まると全員リビングへ集合して飼っている猫をケージに入れました。

結果として震度5弱だったのですが、こんなに揺れるんだと何年もたつのに今でも鮮明に覚えています。

 

地震発生直後のマクドナルドでのバイト

その後はテレビで情報収集、この頃はまだ津波の情報はあまりなかったように記憶しています。

しばらくしてアルバイトの時間が近くなり、閉店の連絡もないのでとりあえず行ってみることに。

こんな時にお客さんなんていないよな、と思いつつ15時50分頃に店舗に着くと日曜日の昼間以上の大行列・・・

後から聞くとスーパーやコンビニに既に買い占めの行列ができており、その流れで「食料を確保しなければ!」と慌てた人たちが1人何十個もハンバーガーを買って行きました。

次の日も、その次の日もお客さんは全く途切れず買い占めが続き、資材は届かず、ポテトとドリンクだけを販売した時間もありました。

 

3.11の夜

あまりの混雑にバイトを延長し、帰ったのは深夜遅くでした。

家に帰りリビングに入るとテレビの音だけが響くリビング、いつもなら話声が聞こえてるはずなのにおかしいな?

そう思いながら入るとテレビに移るのは辺り一面火の海になっている気仙沼のライブ映像。

少し前まで人がいた場所とは思えないほど真っ赤に燃えている景色をみて、本当にここは日本なのかと目を疑いました。

そしてその後は津波の映像、逃げ遅れた人たち、繰り返し聞こえる緊急地震速報の音・・・

直接的な被害がない私でもトラウマに感じるほどの恐怖を覚えました。

 

無力な私でもできることって?

その後しばらくして被害の様子と共にボランティアの様子がニュースに流れ始めました。

私も何かしたい。そう思うものの力仕事は苦手でボランティア経験ゼロの私が現地へ行って果たして役に立つのか、足手まといになるだけではないのか、とう思うとなかなか行動に移せずにいました。

そんな時、知り合いからボランティアのお誘いを受けました。

私は13歳の時からマンドリンというイタリアの弦楽器を弾いています。

以前所属していた団体の方から「私たちにできることをしよう」「私たちにできることは被災地を知ることと音楽で少しでも元気になってもらうこと」その言葉を聞いてすぐに参加を決めました。

 

岩手県へ訪問が決まった

地震の直後に訪問を決めたものの、もちろんすぐに行ったわけではありません。

団員の中で岩手県に知り合いがいる人がいたのでその人が連絡を取り合い、邪魔にならないように、そして少しでも今の被災地を知ることが出来るようにスケジュールを組んでもらいました。

その結果10月ころになったのですが世間では計画停電も収まり、関東ではほぼ元の状態に戻っていたように記憶しています。

でも被災地ではまだまだ大変な状態であることは知っていたので、楽器を持って行っても誰も喜んでくれないんじゃないかと思いました。

 

ボランティア当日

いざ被災地に行き、演奏すると皆さんとても明るく迎えてくださって嬉しかったのを覚えています。

こちらが笑顔に励まされて30分程度演奏をすると鳴りやまない拍手と聞いてくださった皆さんの笑顔がそこにはありました。

「来てくれて本当にありがとう」「演奏を聴いて元気が出た」そう言ってもらえてこちらが泣きそうになってしまったことを覚えています。

演奏後は実際に津波の被害が大きかった場所をバスで回り、ニュースでは放送されない現実を見ました。

 

津波が去った後の土地

私たちは海から5km近く離れた道を走りながら案内してもらいました。

右を見ると普通に家が建っているのに左は一面原っぱ、そしてその奥には海が見える。

写真に収めたかったのですがあまりの衝撃に体が固まってしまい、写真を撮ることはできませんでした。

ガイドの方に促されて原っぱをよく見ると足元には家の土台を思われるコンクリートがあり、半年ほど前までは一軒家が立ち並んでいたというその場所は見たこともないほど広い原っぱで、自然の恐ろしさと強さを感じました。

外枠だけが残された団地

これは被災地で唯一撮影できた写真です。

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元々は団地でたくさんの人が住んでいたそうですが屋根の上まで津波が着てすべてが流されてしまったそうです。

人が住むべき建物なのに人の気配がしないというのは本当に恐ろしく、涙が出ました。

周りにも津波でえぐられた山、封鎖された道路が修復されないまま残されておりニュースで放送されていることがいかに偏った情報、当たり障りのないことだけを発信しているのかとわかりました。

 

私たちにできること

誰でもできる一番簡単なこと、それは忘れないことです。

人間というのはどうしても時が経つと色々なことを忘れてしまいます。

テレビや政治家は私たち一般市民が興味のあること、情報を出すことでお金になることは惜しまず出していきます。

私たち一人ひとりが忘れずに関心を持つ、募金をする、今日は特にですが検索を掛けるだけでも違うと思います。

いつ自分が被災するかわからない中でいまは東北の方、ほかにも様々な自然災害で被害にあわれている方の助けになることは惜しまずしていきたいですね。

 

なんで今更振り返るの?と思う方もいるかもしれません。

先ほども書いたように人間はすぐに忘れてしまします。

仕方のないことではありますが、私はこの貴重な経験を忘れてしまうことが怖いのであえていま記事にします。

当時の気持ちを忘れない為、防災意識向上に繋がれば幸いです。